「租税国家の危機」 シュムペーター

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20世紀を代表する経済学者のひとりであるシュンペーター、タイトルに「租税」とあり、しかも薄い(本文80ページ)となれば、税金に関わる者として手に取らずにはおられない、と思ったのか、我が家の本棚に30年以上眠っていた。難解な本という印象しか残っていなかったが、改めて読み直してみると難解と感じた原因は私の世界史についての知識の欠如にあった。

この本には普遍的な私たちが直面する現代的課題を考える上で、やはり名著であり、読まれるべき本である。世界史についての知識といっても、次の程度のことを知っていれば十分である。

この本は1918年にウィーンの社会学会で行った講演がもとになっているそうだが、1918年といえば、第一次世界大戦の終わった年であり、オーストリア(当時はオーストリア=ハンガリー帝国であり、ヨーロッパの大国である)は、敗戦国である。戦争によって負った国家債務と経済の復興が、当時の人たちが負った課題であった。この講演はこのような時代背景のもとで行われたものであり「租税国家は崩壊するのか」がテーマである。

この本で、私が興味をもった点をいくつか上げてみたい。

租税国家

租税国家とは国家が必要とする支出に充てるための費用を「租税」によってまかなう国家のことといわれている。自由経済のもとで、国家によって「租税」として徴収される収入によって国家の財政需要をまかなう近代資本主義国家のことである。といっても現代人には当たり前すぎて、結局理解できないが、租税国家の租税とは封建的貢納と区別され、国王や領主が支配していた時代は、国王や領主自身が有産者であり、家産や自身の費用(宮廷費)と公益公共目的の費用(その多くは戦費)の区分がない。この租税国家という概念はこの時代のシュンペーターらが定立した概念らしい。

プライマリーバランス

租税国家とは、租税をもって必要な国家需要をまかなうことであり、租税国家の危機とは、租税で需要がまかなえなえなくなることである。ひるがえって現代の日本に目を転ずるとどうだろうか。

財務省の「我が国財政の現状」をみていただきたい。

このたとえが適正であるか否かは別として、家計に置き換えると、毎月の基本生活費が38万円、収入は30万円という状態で「租税国家の危機」であることは疑いない。シュンペーターは「それは崩壊せざるをえないか」とう問いをたて、当時の特殊な状態を分析して、「崩壊しない」ための解決策を提案している。もっとも「崩壊する」という回答も用意しているのだが。

しかし、危機の原因を分析することなしに、いたずらに「30万円の収入で38万円の生活」云々に危機の原因を求める議論はいかがなものであろうか。これでは江戸時代の贅沢禁止令とあまり代わり映えがしない。

共同の困難

シュンペーターによれば、国家は「共同の困難」に対処するために成立し、そのための費用を徴収する。租税国家とは二重概念であり、国家のないところに租税はなく、租税を徴収するのが国家であるという。

では共同の困難とは何だろうか。古典的には、それは戦争と飢餓であることは疑いがない。現代でも形は違ってもこれは妥当しよう。しかし何を持って共同の困難と考えるかは、その時代を生きる人々の状況によって規定されるし、それぞれの立場や考え方によって異なることになる。

共同の困難に対応するための租税であれば、人々は納得するのであって、ここでは「共同の困難」ひいては税金の使い道についての国民的合意が必要である。

税の限界

シュンペーターによれば、税金には限界があるという。「租税国家」すなわち私たちが生きている近代資本主義国家のことである。ここでは誰もが自分自身と自分の家族のために労働し貯蓄するのであり、自分で選んだ目的のためにしか労働や貯蓄をしない。このような世界では、国家は個人的利害の継続的作用と調和できる程度のものしか私経済から取り上げることができない。租税国家では、財政上の利益のために、人々が生産して損をするとか、最善の努力を払わなくなるほど要求してはならない、という。

もっと俗な言い方をすれば、みんな個人的利益の追求のために生きているのだから、税金には限界があるということだ。ここで言う個人的利益とは、もちろん快楽を喜ぶ個人的利己主義というような意味ではない。資本主義社会が私的経済主体の自立的活動によって成り立っているという本質的な意味である。したがって税には限界があるという。限界が存在するからこそ「租税国家」であり、そうでなければ封建的貢納となる。

間接税について

直接税についてのシュンペーターの考え方は、シュンペーター理論の核心とも言える「イノベーション」概念を反映していて面白いが、ここでは触れない。間接税についてのシュンペーターの言及は非常に興味深い。

シュンペーターによれば、間接税の作用は途方もなく複雑であり、これを簡単に叙述することはできない、としながらも、全体としての間接税収入は、その時の一定の限界があって、それ以上に引き上げても収入の増加とならず、かえって低下を生ずるとう。しかし、この限界を見極めるのは極めて困難であるとする。

これが現在の消費税にも当てはまるものか興味深い。よく「このままだと消費税率を??%まで引き上げないと間に合わない」といった論を目にするが、限界というのは存在しないものであろうか。現在の消費税は、わずかの例外を除き、市場取引の全ての段階で課税される市場システムに依拠した税であり、結果的に税金分を最終消費者に転嫁することを予定している。

ここから導かれることは、最終消費が拡大すれば税収は増加し、減少すれば税収も減少するということになる。では最終消費はどのようにして決まってくるのであろうか。単純に税率を倍にすれば税収も倍になるといった単純なものではないことだけは明らかである。

やはりシュンペーターの言うように、どこかに限界が存在すると思われる。しかしその限界を見極めることは、益々困難である。

「租税国家の危機」岩波文庫