なぜ「一億円の壁」は崩れないのか

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一億円の壁とは

年間所得が一億円を超えると、実効税率が減る。原因は金融所得の分離課税にある。ネットで「一億円の壁」と検索すると、次のような記事かみつかる.。
与党税制改正から消えた「富裕層1億円の壁」のナゾ
金融所得課税と“1億円の壁”の打破

所得1億円を超えると、税負担率が下がるときけば、「なんで」と思い、「そんなバカな」という反応が一般的であろう。多くの人が問題視するが、これが変わることはない。なぜなのだろうか。

所得税法の理念から逸脱する金融所得税制

所得税法には、「所得税は、こうあるべき」という理念がある。この理念は、租税特別措置法によって、浸食されているが、その中心は「総合課税主義」と、「累進税率」であり、ルーツは、シャウプ勧告にある。
金融所得の分離課税と定率軽課は、総合課税主義に反し、累進税率が適用されない。所得税法の理念からの逸脱である。

総合課税主義

所得税法は所得を「利子」「事業」「給与」「譲渡」「一時」など、その性格によって分類するが、そのすべての所得を合計して課税の対象とする。

所得の種類を分類することにより、所得の発生原因ごとに、調整が加えることが可能となる。代表的なものは給与所得控除である。給与所得控除には、給与収入の概算経費とう意味もあるが、当初「勤労控除」とされたように、勤労性の所得に軽課するという趣旨がある。なお、農業所得にも勤労控除は適用された。

一定の調整は行われるが、所得の発生原因を問わず、同一金額の所得は、同一の税率で課税するので、負担税額は同額となる。

累進税率

すべての所得を合計した上で、社会保険料控除、基礎控除などの所得控除を差し引いた金額(課税所得)に、税率をあてはめて、税額を算出する。この際適用する税率は、所得が高いほど高税率となる。高額所得者ほど、所得に対する税の負担割合が大きくなる仕組みである。誤解している人が多いが、税額算出は、課税所得の総額に税率をかけて、算出するわけではない。

現行(2023年)の税率表では、150万円未満までは5%であり、それを超えた部分で、330万円未満円までは10%である。順次税率が上がって、4千万を超えた部分は45%となる。年間課税所得1億であっても、最初の150万円未満は5%であり、4千万円を超える部分のみが45%となる。これを超過累進税率という。

「金持ち課税」―税の公平性をめぐる経済史

なぜ一億円の壁はくずれないのか、という問いに対する答えがみつからない。私は、この問題をめぐる政治的なかけひきには、興味がない。そんなときに、目にとまったのが、下記の研究書だ。

「金持ち課税」税の公平をめぐる経済史 みすず書房

この本によれば「社会が富裕層に課税するのは、国民が国家は富裕層に特権を与えていると考え、公正な補償によって富裕層にほかの国民より多く課税することを要求するときである。」という。「補償論」というそうだ。
社会が富裕層への課税を求める根拠には、補償論以外にも、「支払能力論」と「平等取扱い論」があるという。

公正をめぐる様々な考え方

どのような所得税が望ましいか、といえば「公正」(公正を平等とおきかえてもよい)であること、という点では、ほとんどの人が一致する。しかし、なにが「公正」か、となると様々な考え方が存在する。

定額課税(人頭税)つまり、誰もが10万円とするのが、公正であるという意見もあり得るが、今、これを支持する人は、ほとんどいない。

比例税率つまり、税率10%ならば、100万円の所得では10万円の税金、1億ならば1千万円とするのが、公正であると考える人もいる。現行の金融所得課税制度は、15%プラス復興税の0.315%の定率課税である。

所得税法の本法は、累進税率なので、現状は、所得税の中に、累進税率と比例税率が併存している。

それでも所得税法の理念を公正と考える理由

シャウプ勧告を受けて、制定された所得税法は、総合課税と累進税率が税の公正にかなうもとして選択された。制定時と状況は変わったが、私は、現在でも総合課税と累進税率は、公正にかなうものであると考える。

所得の発生原因を問わない総合課税主義

総合課税主義は、所得の発生原因(どうやって稼いだか)を問わず、すべてを合計して課税対象とする。「稼いだお金は、お金」であり、所得が同じなら同じ税額になる。所得の種類によって所定の調整が行われるが、きわめて公平な制度だと思われる。

所得が高いほど税率が高い累進性

累進性は、所得が高いほど、高い税率が適用される。これが、公正(あるいは公平)といえるのだろうか。

アダム・スミスは「あらゆる国の国民は、それぞれの能力に応じて可能な限りそれに近づくように、つまり、国家の保護のもとで国民がそれぞれ享受する収入に応じて、政府を支えるために貢献すべきである。」(高哲男訳)とする(スミスの4原則として知られる第一原則)。スミスは近代的所得税以前の人であるが、私が、注目するのは、「国家の保護のもとで享受する収入」の部分である。

租税法のテキストでは、税の目的の一つとして所得再分配があげられているが、「国家の保護のもとで享受する収入」とは、再分配以前の収入のことである。

高額の収入は、本人の主観では、自分の努力によって、稼いだものと思っていても、金融所得の発生原因となる法制度、システムは、国家のもとにある。高額所得は、国家や様々な社会制度が存在するからであり、「国家の保護によって享受した収入」である。

高額所得者ほど、国家の保護の恩恵を享受しているのであるから、累進性は、今日でも、公平にかなうと考える

一億円の壁が安泰である理由

私は、一億円の壁は崩すべきであると考える。それは、所得税の理念からの逸脱だと考えるからである。

なぜ「一億円の壁が崩れないか」という問いに答えは見つけられないが、「国民の多くが、これを問題視していないから」ということだけは確かと思える。消費税が、選挙に大きく影響してきたことと違い、この問題は、現状では選挙に影響ない。

おそらく誰もが、自分の税金は少ない方がよいと考えている。しかし、一方で「税金のあり方」という「公」(おおやけ)のことに全く無関心かといえば、そうでもない人も相当数いるはずである。

一億円の壁は、他人の税金負担の問題であり、自分とは無関係と考えるとすれば、国民に「主権者」としての意識が確立していないのではないだろうか。