税の世界では「垂直的公平」「水平的公平」という用語が使われる。「垂直的」とは、税は負担能力応じて負担すべき、ということ、「水平的」とは、同じ状態の人の税負担は同じでなければならい、という意味である。一般教養としては、これでいいのだろうが、具体的な税制となると、ことはそう簡単ではない。
「公平」とは、あくまで「感」であり、特定の制度(例えば金融所得の分離課税)について、人々が、どう考えるかは、個人によって様々であり、社会的な状況や、その人が置かれた状況によって異なる。
「金持ち課税」の最終章は「これからの金持ち課税」であり、「人々を平等に扱うための三つの方法」という項がある。
第1は「平等な扱い」であり、第2は「支払能力」、第3は「補償論」である。どれもが、一つの考え方であり、どれが多数の支持を得るかわからない。過去の税制は、いずれかの考え方が基礎にあり、どれもが平等なものとされてきた。それが、そのとき多数の支持を得るようなった理由が解明される必要がある。
平等な扱い論
全ての人が、同一の税率で税を負担することが平等であるとする考え方である。この平等論でも「垂直的公平」は満たしていると考えることができ、当然累進課税は否定され「不平等」とみなされる。
支払能力論
「垂直的公平」であり、税の世界では、しばしば「応能負担原則」とよばれる。その人が自由に使える所得や資産に応じて税金を負担すべきであり、これが「平等」だとする考え方である。現在の累進税率は、これを根拠とする。
しかし、負担する能力(担税力とよばれることもある)に、応じて税を負担することが、公平、平等かといえば、「応益負担」を支持する人からは、公平ではないという反論が出てくる。「金持ち課税」でも「支払能力論は多くの人に訴えるが、勝利することはめったにない」とある。
補償論
「補償論」と言われるとなじみがないが、ここでは国家の行為が関係してくる。「国家がある次元において、人々を不平等に扱っている(特定の人々が得をしている)ならば、税を使って補償すべき」という考えである。
これが支持を獲得するのは、国家自体の行為によって、不平等が生み出されていると多数のの人々が感じるときである。
大戦時の超高率の累進税率は、もちろん財政上の必要性からきたものであるが、政策として実現できたのは「富の徴兵」が、支持されたからだという。
「富の徴兵」とは、富裕層の(戦争で儲けた)富から税を「徴収」すべきということである。
税と国家
税とは、直接の反対給付なしに、国家が私人から、強制力をもって、移転される富である。国家ぬきに税を語ることはできない。したがって、税をめぐる「公平」は、国家の本質をどのように考えているか(国家観)と深く関連する。
租税法の教科書では、現代国家における租税の役割は、①公共サービスのための資金調達、②再分配、③景気調整と説明されている。この他に租税特別措置にみられる、④政策誘導を加えてもよいかもしれない。
公平には無関心な日本人
税の公平は、あくまで「感」であり、国家観と深い関連があり、個々人によって異なることをみてきた。それでも、そのとき、支配的となる、公平感がある。
現代の日本人はどうだろうか。この種の世論調査をみたことがないが、現代日本人の大勢は、自己の利益を中心として考える租税感(自分にとって得か損か)であり、さして税の公平といったことには、関心がないように見受けられる。
無関心のもたらすもの
現代の日本において、公共サービスのための費用として税の必要性を否定する者はいない。しかし、誰が負担すべきかとなると無関心である。したがって、税の公平を求める声も小さい。
現実に、税制がどうやって決まっているかというと、業界団体からの要望を受けた各府省の税制改正要望、与党税制調査会、税制改正大綱の閣議決定とすすみ、最終的に国会決議を経て法律となる。この過程で、かけひきがおこなわれる。結果として、税制はますます不可解なものとなっていく。
税が公平であることは、民主主義社会の基礎である。税のあり方について無関心であってはならない。結果的に勘定書きをつきつけられるのは、国民である。
