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「後期日中戦争」2冊 広中一成

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後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線
一般書「後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線」のあらすじ、最新情報をKADOKAWA公式サイトより。真珠湾攻撃の裏で起きていた、敗北。41年以降の中国戦線の実像を描く!
後期日中戦争 華北戦線 太平洋戦争下の中国戦線2
一般書「後期日中戦争 華北戦線 太平洋戦争下の中国戦線2」のあらすじ、最新情報をKADOKAWA公式サイトより。三光作戦に改めて光を当てる。41年以降の中国戦線の実像を描く!

本の帯にあるとおり「日本人は、日中戦争を未だ知らない」そのとおり、私も、であった。「後期日中戦争」とは著者の定義では、1941年(昭和16年)太平洋戦争が、始まって以後の日中戦争のことである。

日本人と中国人の情報の非対称性

中国人は日中戦争を知っており、日本人は知らない.

中国人は、抗日戦の主導権を握ったことにより権威を確立した中国共産党支配下で、生まれ生きてきた。
日本人は、侵略という負の歴史に蓋をしたい政権が続いている。結果として、日本人は「日中戦争」の存在さえ知らず、教えられてこなかった。

これは、「歴史認識」の違いといったものではない。中国人にとっては「常識」であり、日本人は「知らない」のであり、情報の非対称性である。

日中戦争というと(そもそも戦線布告がない)、1937年の盧溝橋事件から始まったとする見方が一般的である。1931年の満鉄爆破事件、32年「満州国」建国から数えると「15年戦争」である。ここまでは、世界史の教科書にも載っていることだが、パールハーバー以後の日中戦争となると、ほとんど知られていない。しかも、1945年8月15日以後も続いていたことなど、知る人は「皆無」に近い。

日本は中国に負けた

なじみのない人名、地名の続出することは、やむを得ないが、公式記録、戦史、個人の手記、インタービュー記事などを丹念にあたっており、記述が具体的で、読み通すことに困難はない。はっきりしていることは、徹底的に日本軍が、後期中国戦線で敗北していたという事実である。

「敗戦」(なぜか終戦といいたがる)というと、アメリカに負けたと思っている人が、ほとんどである。日本は、中国にも負けたのである。昭和天皇のことば(詔勅)は、「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」であり、共同宣言とはポツダム宣言のことで「支」は中国であり、「蘇」は、ソ連のことである。

日本人と中国人の情報の非対称性が、多くの問題を引き起こす。情報の非対称性の原因は、日本人が「日中戦争を未だ知らない」ことにある。特に為政者が「知らない」とすれば、危険ですらある。