憲法記念日に

この記事は約2分で読めます。

明治人の憲法観

「抑(そもそも)憲法ヲ制定スルノ精神ハ第一君権ヲ制限シ第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」これは、森有礼の「臣民ノ権利義務ヲ改メテ臣民ノ分際ト修正セン」という発言に対する伊藤博文の反論である。伊藤は「森氏ノ説ハ憲法学及国法学ニ退去ヲ命ジタル説ト云ウベシ」といいきった。明治憲法制定時の話である。

伊藤の憲法観は、天皇主権の立憲君主制政体を前提としながらも、憲法とは、第一に「権力を制限する」ものであり、第二に「国民(臣民)の権利を保護するため」のものである、という。

一方森の憲法観は、憲法とは国民の義務や、心構えを定めるものと考えているようである。

「納税は憲法上の義務」の違和感

「納税は憲法上の義務」という人もいる。これには違和感を覚えてきた。官民双方に「国家の歳入にかかわる尊い仕事に従事している」という思いがあるのかもしれない。

根底に「憲法は法律の親玉」であり「国民の守るべき大切な義務、心構えを定めるもの」という憲法観があり、どうも森有礼に近いようだ。

国民主権のもとでの租税

国民主権を定めた日本国憲法下での納税義務は、国民が国会を通して、法律として定めたことから生ずるのであり、国民が自らの意思で自らに課した「自己賦課」である。「憲法上の義務」だから、納税義務を負うわけではない。

これは、タテマエである。しかし、私たちは、このタテマエを実感できない現実がある。
国民は納税者であっても主権者になり得ていないのであろう。

そんなことを思う憲法記念日である。