憲法30条納税義務について

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私は、なぜ憲法にこの条文が存在するのか、かねてより疑問であった。この答えは、「憲法30条のなぞ」に書いた。明治憲法時代から日本国憲法の誕生の成立過程までを熟知している宮沢俊義「憲法Ⅱ」新版によれば、「わざわざここで、規定する必要がない」のであり、不要な条文ということになる。

手元にある憲法の教科書でも、30条について書いてあるものは、ほとんどない。唯一みつかったのが、長谷部恭男「憲法」第3版である。「憲法30条は法律によらない限り課税されない権利を逆に保障したもの」「法律として具体化されてしまえば、納税の義務は一種の法律服従義務に他ならい」とある。要するに憲法学者にとって、この条文は意味のないものなのである。

ところが「納税は憲法上の義務だ」いう税理士が、けっこういるようだ。気軽に言っているのかもしれないが、ことは、「民主国家における税」というものの考え方の根幹にかかわる。民主国家では、税金というものは、国民が選んだ議員が国会で決めた税法によって、国民自らが、納税義務を負うのであって、「自分が自分に課すもの」つまり「自己賦課」である。決して「決められとものはきっちり払え」とお上から言われる筋合いのものではない。

日本国憲法の下では、主権者である国民が、自ら税金の負担を決めることができる。これが民主国家の建て前である。国会が決めた法律があるから、納税の義務を負うのであって、憲法によって義務を負うわけではない。
国民の手の届かないところで、税金が決まっているという現実があるとしても、税金は、主権者である国民が自ら決めて、自らに課しているという建て前を放棄してはならない。

「憲法上の義務だ」という人は、30条だけでなく、99条の憲法尊重擁護義務「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」も読んで欲しい。憲法の名宛て人(憲法が誰に制約を課しているか)が、明確である。ここを勘違いすると、国民主権原則(民主主義)の否定につながる。

しかし、「納税は憲法上の義務」という人が存在するのも憲法30条が存在する限り無理からぬことである。憲法30条は、憲法学者にとっては、無視してよい対象であっても、税理士にとっては、やっかいな存在である。憲法の「納税の義務」成立過程については、三木義一、廣田直美「「納税義務」の成立過程と問題点」(税理2014年1月号)に、詳細な研究がある。30条は、明治憲法的発想の産物であり、日本国憲法に紛れ込んだものだ。税理士は、30条の成立過程を知った上で、この条文の意味を考えてみなければならない。

上記(三木、廣田)によれば、日本国憲法の成立過程では、内閣案に納税の義務規定は、存在せず、衆議院の修正で追加されたものである。「なぜ納税の義務規定がないのか」という質問に対し、法制局は想定問答集で「国の財政潤沢ならば、これ(税金のこと)を撤廃することがむしろ理想であり、基本的義務として固定する必要はない」とする回答を準備していた。「税金のない国だってあり得るじゃないか」「必要なら法律で決めればよい」というわけで、まことに正論である。「法律として具体化されてしまえば、納税の義務は一種の法律服従義務に他ならい」(上記 長谷部)のであり、国民の代表である国会議員が、法律として定めた税法によって、国民は納税の義務を負う。やはり、私には不要な条文としか思えない。

参考文献
長谷部恭男「憲法」第3版
三木義一、廣田直美「「納税義務」の成立過程と問題点」(税理2014年1月号)