人口減少が問題となったのは歴史上初めて?
岸田総理は2023年1月「異次元の少子化対策」を年頭会見で表明した。少子化を懸念する人は、将来の人口減少と、人口構成の変化(労働可能人口の絶対数および比率の減少)を問題視する。
この問題は、考えれば考えるほど、知的好奇心を刺激する。著名なマルサスは、食糧の増加が人口の増加に追いつかないことを懸念した。私が生きてきた時代を振り返っても「家族計画」という名のもとに、人口抑制がはかられたこともあり、中国では最近まで一人っ子政策という人口抑制策が、統治者によって選択された。
人口減少とそれが統治者の課題となったのは、最近のことであり、しかも先進国といわれる国である。おそらく、統治者が人口減少を問題視するようになったのは、歴史上なかったのではないだろうか。
人の移動による人口増減
よく知られているようのアメリカ(USA)は、移民の国であり、西欧系の移民によって、建国された。その後も20世紀当初までは、西欧系、現在はヒスパニックとよばれる中南米からの移民、アジア系の人たちの移民が多い。このヒスパニックと呼ばれる人たちも、スペイン、ポルトガルの中南米統治と、英仏のカリブ海砂糖植民地の結果である。キューバなどのカリブ海諸国のネイティヴは絶滅したといわれているので、砂糖植民地の子孫といっても、ルーツはアフリカ系である。
少子化、人口減少、特に労働可能年齢の人口を考えるとき移動による人口の増減(移民)をどう考え評価すべきなのであろうか。
国境、国、人種
人口の増減を語るとき、前提として、特定の「国」のことを意識している。
島国日本に住んでいると、国境線を意識することもなく、国境問題といえば、尖閣、北方四島などであるが、大陸では国境線の変更は、さして珍しいことではないことに、改め気づかされたのがプーチンの戦争である。
国境線の変更に伴って、住民も移動した例もあるが、国境線が移動すれば当然「国民」の数も変わる。
欧州の国境線の起源は1648年のウエストファリア条約にあるといわれている。
ウエストファリア体制は、主権国家だけが、国際政治の主体であり、対等平等であり、内政不干渉を原則とし、主権国家の上位に、いかなる権威も認めない体制である。この原則によって、国境線が引かれたことになる。したがって、国境線自体さして古い物ではなく、歴史(戦争)の産物である。
ところが、この原則は、キリスト教社会(西欧)国家間の原則、合意であって、彼らが言う非文明国には、適用されない。そこでは、ローマ法起源の「先占の法理」が適用される。キリスト教社会以外は「非文明国」であり、早い話が「とった者の勝ち」である。
アジアに国境線はなかった
アジアは、どうだろうか。東アジア、内陸ユーラシアの歴史をみると、特定の勢力(政治権力)が、一定地域を支配し国号もあったが、ウエストファリア体制のような「国境」という概念は存在しなかった。
19世紀までのアジアの国際関係は、中華思想、華夷秩序を基本とする「冊封体制」「朝貢関係」である。天命を受けて、世界を統治するのが天子たる皇帝であり、したがって、全世界の支配者である。支配の及ばない地域(朝貢しない地域:国)は夷狄である。ここには、主権国家同士の対等な関係というものは存在しない。中華思想といっても中国だけの専売ではない。自民族を中心とした世界観は日本にもあり(日本書紀や神皇正統記)、おそらく朝鮮にもある。
現在、南極を除き地球上のあらゆる陸地に国境線が引かれている。これはアジアを含む全世界が、西欧起源のウエストファリア体制を受容したからに他ならない。受容したといっても、すすんで受け入れたわけではなく、アヘン戦争にみるように、西欧列強によって戦争と暴力によって強制されたものである。アフリカと中東に不自然な(直線の)国境線が、その証拠である。
人種とはなにか
チベットと内モンゴルは中華人民共和国の一部であるとして、国境線が引かれている。この人たちは中国人なのか。クルド人は国をもたない最大の民族であるという人もいる。ユダヤ人は、古代ユダヤと本当に関係があるのだろうか。ロシア連邦には、日本人がほとんど知らない小共和国がかなり存在する。この人たちはロシア人なのだろうか。
現在は、国民国家といわれるように、国境内に住む、言語など一定の同質性がある「国民」によって構成されている。こう考えると、国とは何か、人種とはなにか、そもそも国境とは何だろうかということに行き着いてしまう。
日本の出生数
1947から49年の日本の出生数は260万人台であり、私の生まれた52年は200万人である。およそ70年を経て、2022年は80万人を割ることになる。さらにこの「少子化」傾向は、続くものと推定され、2060年には、48万人になるという。
地球上の人は増えている
一方世界全体の人口は、現在80億人であり、今後も増加が続き、2050年には100億人となると推定されている。
少子化が進んでいるのは、日本の問題などの先進国にみられる現象である。人口の増減には法則性があるのであろうか。「貧乏人の子沢山」という言葉があるが、経済(豊かさ)と人口は関係があるのだろうか。
飢餓人口
国連によると2021年で、地球上の飢餓人口は8億人を超えるという。人口が増えると食糧が不足するというマルサスの言は否定できるのだろうか。
少子高齢化を危惧する見解
日本が人口減少社会に移行しているのは事実であるが、なぜこれが「よくないこと」であり、少子化対策が喫緊の課題といわれるのだろうか。主な見解は次のようなものである。
・人口の減少は国力の衰退である。
・経済力が衰退し貧乏な国となる。
・少子高齢化によって、人口構成がかわり、生産年齢人口が減少し、高齢者扶養が困難となる。
・医療、介護費用が増大し、現役世代の社会保険料の負担が耐えがたいものとなる。
・労働力不足になる。特に介護労働者の不足。
労働力の不足
歴史を振り返れば「労働力不足」は、いつでも、どこでも発生してきた。統治者は、大抵の場合、暴力的手段で解決をはかった。戦争による捕虜の獲得、砂糖植民地や北米向けの奴隷狩りなどである。労働力(農民)や兵士の確保を目的とする戦争も珍しいものではなかった。徴用工も労働量不足への対応の一種であり、さして昔のことではない。
現代では、ここまでむき出しの暴力でないとしても、経済的な強制によって、移民として故郷を捨てる人、海外への出稼ぎも多く、それによって労働力不足に対処しようとする国がある。日本の研修生制度もこの一つである。
日本の人口とは、日本人とは
少子化が進んでも、それ以上に移民が増えれば、列島上に暮らす人は減らない。もっとも、統治者(および日本の空気)が、制度として大量移民を受け入れる選択をすることがあるか疑問であるし、どんなに歓迎しても、そこで暮らすことにメリットがなければ、人は移動しない。
列島上の人口減少(労働力不足)に対処することを目的とし、また希望者が多ければ、列島上の人口減少は避けられる。だが、移民の増加で数十年後には、日本語話者が半分という社会もあながち考えられないわけではない。
おそらく少子化を危惧する人たちは、これでは満足しない。
ここで、そもそも日本人とは何かという問題に行き着く。
アメリカ(USA)をみると
メイフラワー号以前の北米のネイティヴアメリカンは、およそ150万人であったと推定されている。現在のアメリカ合唱国の人口は3億人を超えている。ネイティヴアメリカンにとって、アメリカの人口は大幅に増加したといえるのだろうか。そもそもアメリカ人とは、どう定義すべきなのだろうか。
西欧系アメリカ人は、英国、アイルランド系が多数派かと思っていたが、実はドイツ系の方が多いらしい。しかし言語は英語である。
この歴史をみると、百年後に列島上にすむ人の肌の色は様々で、言語は英語か中国語である社会も、あながち、奇想天外な妄想とかたづけるわけにはいかない。
借金、国債
国が借金を続けた結果23023年度末には、借金総額は1,068兆円になるという。借金の問題点は、今の世代が借金をして、自分たちのやめに支出すると、子供や孫、ひ孫世代に負担を先送りすることになるという(財務省パンフレット)。
いかにも、もっともらしい説明で、新聞をはじめ、ほとんどの人が、「そうだな」と納得する。
この説明だと、将来世代の「食い扶持」を現代の世代が、先食いしているような言い方である。果たして、そうだろうか。将来の生産物(財)を現在の私たちが消費することは、不可能である。私たちは、その原資が所得か、借金かなどとは、関係なく、今生産された財を消費して生きている。
借金とか国債は「制度」「体制」が、作り出したものであり、人間は、自然に働きかけて、生産し消費して生きているという、基底(根幹)にたって、考えると、全く違った見方もできる。