一般に「無味乾燥」と思われる憲法の教科書でも、ときどき面白い表現にでくわすことがある。表題は、浦部法穂「憲法学教室」の「人権の考え方」のなかで見つけた「幸福追求権」の説明である。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
「憲法学教室」(浦部法穂)によれば、「人権」とは、「個人の尊厳」の観点から、人間としての生活に不可欠とされる権利であり、憲法上明文の保障規定があるなしにかかわらず、およそ人間らしい生存に欠かすことのできない権利はすべて人権であり、13条は包括的な人権保障規定としての意味をもつ」という。
直近の例(2021年11月30日)だが、下記の事件がある。
戸籍の性別変更に「未成年の子がいないこと」を要件としている性同一性障害特例法の規定が、幸福追求権を保障する憲法に反するかが争われた家事審判の特別抗告審決定で、最高裁第3小法廷(林道晴裁判長)は「合憲」との初判断を示した。裁判官5人中4人の多数意見で、宇賀克也裁判官は「違憲」とする反対意見を出した(東京新聞12月1日)。
「浦部憲法学教室」では、「ドラえもんのポケット」のあとに「いろいろ便利な道具を引き出せるが、使い道をまちがえないよう注意が必要」と続く。「人権」とは英語の”Human Rights”の訳語であり、”Rights”には、「正しいこと」という意味がある。したがって”Human Rights”は、「人間として正しいこと」という意味であり、その「正しさ」は、個人の尊重をベースに、説得的にいえることが前提であり、なんでもかんでも「幸福追求権」から引き出すことは、人権の価値そのもの低めることになる、という。
憲法13条は、15条以下で個別に保障されている権利も当然含まれるが、個別に保障された権利以外も引き出すことができる「ドラえもんのポケット」である。「憲法も古くなったし、プライバシーや環境権など、新しいものも必要だよ」と思っている人は、「憲法とは権力に縛りをかけるもの」ということを忘れている。私は、この程度の憲法観で改正を議論することは危険であり、有害であると思う。
参考文献
浦部法穂「憲法学教室」第3版