「憲法」という言葉

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日本国憲法の「憲法」とは、英語、フランス語の「Constitution」の訳語で、大日本帝国憲法(明治憲法)制定にあたって、訳語として「憲法」が選ばれた。当初は、国の掟という意味で「国憲」と訳されていた(明治9年の憲法起草を命じた勅令=天皇の命令)。どうも「憲法」という訳語を選択したのは伊藤博文らしい。なお憲法という言葉は古くからあり、ご承知の「聖徳太子の十七条憲法」がある。憲とは懸と同じ意味で懸げて示すことで、聖徳太子の「憲法」は、交付された法を意味し、単に法、掟という意味しかない。

ヨーロッパ語圏で「Constitution」には、三つの意味がある。
(1)基本的な統治機構の総体、基本的統治機構の構造と作用を定めた法規範の総体。これを「実質的な意味の憲法」という。この意味の憲法は、国家が存在するかぎり、必ず存在する。
(2)上記のうち、一定の形式上の標識を備えた法体系。これを形式的な意味の憲法という。
(3)近代立憲主義に立脚した法規範。近代立憲主義とは、とりあえず、権利保障と権力の分立と定義しておく。
1789年フランス人権宣言「第16条(権利の保障と権力分立)権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。」

では伊藤博文は、いかなる意味で「憲法」という訳語を選択したのだろうか。

帝国憲法を審議していた枢密院の会議で、「臣民ノ権利義務ヲ臣民ノ分際ト修正」するように強く主張した森有礼にたいし、伊藤は「説(森のいうこと)ハ、憲法及国法学ニ退去ヲ命ジタル説」と批判し「抑(そもそも)憲法ヲ創設スルノ精神ハ第一君権ヲ制限シ第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」と明確に述べている。さらに「憲法ニ臣民ノ権利ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セバ憲法ヲ設クルノ必要ナシ」と反撃した。伊藤は、権力にタガをはめることよって、国民の権利を保障することが、近代憲法であると主張しているのであり近代立憲主義の説明として現在でも十分に通用する。

しかし、制定された帝国憲法は、欽定憲法(天皇が国民に与えたもの)であり、権利保障といっても、全て法律の許す範囲での保障であり、近代立憲主義に立脚したものとは言いがたい。この憲法発布(1898年)の翌年に発表されたのが「教育勅語」である。これは天皇の臣民(国民)に対する訓示である。帝国憲法と教育勅語はセットとして捉えたほうがよい。

現代日本にも憲法を上述の森有礼のように理解している人がいる。この人たちは、憲法とは「お上」が国民に彼(彼女)なりの価値観に基づく道徳や生き方の指針を示すものと思っているようだ。

主な参考文献
樋口陽一「憲法」第三版
伊藤正己「憲法」新版