従来はパート主婦の年収が「103万」を越えると扶養限度を超えて夫の扶養にならないことから、世帯収入が減るということで、働き控えが生ずるということから「壁」といわれてきた。最近の報道では、「年収の壁」は、所得税の課税最低限の意味で使われている。
給与所得者の課税限度は「基礎控除」と「給与所得控除」の合計である。
「壁」が、課税最低限ならば、どこまで引き上げても壁は存在する。
「壁」の本質はジェンダー問題
「壁」問題に熱心なのは、「妻には家事労働もやりながら、パートでも稼いで欲しい」夫と「夫の扶養にならないと困る」妻、という価値観の人たちであり、低賃金労働者として主婦パートを必要とする資本の要望でもある。
人は、税金の仕組みで、どれほど「ふるまい」を変えるものだろうか。
「税金取られるなら働かない」というほど豊かな層がそれほどいるとも思えない。
所得税をめぐる「壁」問題の本質は、「性別役割の固定化」に利益を感じる人たちの要求である。
基礎控除の有名無実化
所得税の基礎控除は「最低生活費は担税力をもたない」という、考え方が基礎にある。担税力とは、税金を払うことができる経済的な「能力」のことである。
租税法の泰斗である金子宏先生の著書では、基礎控除、扶養控除等などの人的控除は、「憲法25条の生存権の保障の租税法における現れ」と解説されていおられる。
最低生活費に国家は課税してはならないということである。
ところが、長年にわたって、基礎控除の意義は、有名無実化しており、私が税理士であった期間は、ずっと38万円であった。「月額ではなく年額ですよ」と、よく冗談まじりに語ってきた。令和に入って、48万、58万と引き上げられ、低所得者向けには、租税特別措置法で特例措置が導入され、令和7年度では、95万となった。
しかし、この程度の金額は、最低生活費とかけ離れた金額であり、所得税法における「基礎控除」の意義は、もはや有名無実化している。
壁は撤廃すればよい
現代国家における、租税の重要な役割の一つとして、所得、富の再分配がある。これを否定する人は、まずいない。
所得税の体系が、富裕層や資本の要求のままに、また「票」のために、ズタズタになってしまった現状では、「基礎控除」などの人的控除を憲法25条と関連付けることは、もはや無理である。
人の考え、生き方も多様化している。再分配機能のためには、所得税の「累進税率」と「総合課税主義」を根幹に、課税最低限は、撤廃し、10万円でも100万円でも、課税すればよい。
ムチャと思われるかもしれないが、再分配のための「税」であれば、低所得者ほど、税によって、得られるものは多いはずである。
「取るものはとり、必要な給付はきっちりと」が、本来のあり方である。租税の中に、みみっちい「減税というおまけ」を組み込むような税制はうんざりである。
